哺乳瓶のゲームメモ#4 『Bamboo EP』

見た目も音もポコポコしてます。

f:id:inneranimal:20170525002836j:plain

 今回取り上げる『Bamboo EP』は、昨年12月にSteamにてリリースされたゲームです。Itch.ioからも遊べるみたいですね。

 

 開発元のsokpop collectiveについて、私も詳しくは分からないんですが、アート寄りのかわいい感じのゲームを作ってるみたいで結構好きです。『塊魂』とか『のびのびBOY』の高橋慶太さんを連想させますよね。

f:id:inneranimal:20170525003048j:plain

 

 『Bamboo EP』はその名の通り、「竹」をテーマとする3つのミニゲームから構成されている作品です。3つだけ? と思う方もいると思うんですが、かわいい見た目とは裏腹に、どのゲームもかなり手応えがあるので十分に楽しめます。

 

 私が特に好きなのは『Bamboo Heart』という、チャンバラアクションのミニゲームです。『Nidhogg』を和風にして、かわいくした感じ。でもストーリーが意外と重いんですよね。村を追い出された剣士が、奪われてしまった自分の心臓を探しに行く、という内容になってます。チャンバラします。血も出ます。

f:id:inneranimal:20170525003118p:plain

 

 『Bamboo Heart』なんですが、BGMにとても感動したんですよね。めちゃめちゃ拙い例えで申し訳ないんですけど、最初は『エレクトロプランクトン』みたいな感じ。BGMというより環境音なのかな。ポコポコしてて癒されます。

 でも戦闘が盛り上がるにつれて、BGMもヒートアップするんです。沢山の楽器が鳴ってて気持ちいい。コントローラの操作をやめるとBGMも勿論静かになります。このシステム、結構びっくりしたんですよね。単純だと思うけど、今まで無かった感じ。BGM自体が盛り上がるっていうのはあるけど、楽器が沢山鳴るというか…。なかなか表現するのが難しいんですが、観て頂けたら分かると思います。個人的にかなり気に入っているシステムなので、こういうゲームが他にもあれば教えて欲しいです。 

 

 あと、気になるのがグラフィックなんですね。ドットっぽいけど3Dみたいだし。こういうのってFake3Dって言うんでしょうか。

 今、特に日本のインディーゲーム界隈だと、ドットで2Dのゲームがかなりメインストリームみたいになってる気がする。Tokyo Indie FestとBitSummit、結局行ったんですけど日本のブースではそんな印象を受けました。イベントに関してはいろいろ感想があるので次回書きますね。

 私はドットのゲームが好きだった、というより初めて遊んだインディーゲームが『スキタイのムスメ:音響的冒剣劇』だったから結構思い入れがあるんだけど、最近はドットのゲームが多すぎて、ちょっと飽きちゃったところもあります。だからこそ、こういう「一見ドットだけど、もしかしてドットじゃない?」みたいな手法、めちゃめちゃ好きだし見た目もかわいいなって思いました。実際の開発状況は分からないんですけどね。

f:id:inneranimal:20170525003415j:plain

 

 そんなグラフィックがかわいい『Bamboo EP』だけど、なんとほぼワンコインで買えちゃう。ゲームが3つも遊べて600円なんてビックリですよね。回し者みたいになってるけど、どれも出来が良いので大満足です。かわいいし。気になった方は是非。

哺乳瓶のゲームメモ#3 『Armikrog』

「ゲームはアート」という認識。

f:id:inneranimal:20170429021632j:plain

 クレイマン・クレイマンというゲームをご存知でしょうか。

 クレイマン・クレイマンは1998年に発売されたクレイメーションのゲームです。クレイメーションとは粘土のアニメーションのことで、NHKで放映されていた『ニャッキ!』や『カペリート』なんかがそうです。それをそのままゲームにしてしまったのがクレイマン・クレイマン。言うなれば、プレイヤーがニャッキカペリートを操作出来るんです。粘土の世界観、素材感をそのままに。

f:id:inneranimal:20170503234127j:plain

 

 クレイマン・クレイマンはBGMもとっても良いんですね。クレイマン・クレイマンと、その続編であるクレイマン・クレイマン2 ~スカルモンキーのぎゃくしゅう~で流れる楽曲は、Terry Scott Taylorというアメリカのミュージシャンの方が作曲しているんですが、彼の作る独特なカントリー調の音楽が凄く良いんです。ゲームの世界観を壊さずに、上手く調和している感じ。私の好きな楽曲、Klaymen's Themeを載せておきます。

 

 そんなクレイマン・クレイマンの開発に携わったスタッフの方々が、約20年の時を経て再集結、そして出来上がったのがArmikrog。「クレイマン・クレイマンの精神的後続作品」とも言われているようですね。

 粘土で作られた世界観、ニヒルで個性的なキャラクターたち(クレイマンはニヒルではないかもしれないですね)は勿論、Terry S. Taylor氏の楽曲も健在です。カントリー寄りではないけど、こっちもこっちで私は大好きです。


 クレイマン・クレイマンですが、注目すべきはゲーム開発のプロセスなんですね。粘土のゲームと言っても、粘土風に見えるCGで作っているとかそういう訳ではない。そのままの粘土を使っているんです。粘土を使ってるって、ゲームのステージとかはどうしてるの? と思われる方もいらっしゃると思うんですが、これに関してこんなエピソードがあります。

じつは、20年前のチームはそのような知識を持たないまま撮影に突入したため、なんと4トンもの大量の粘土を使い、本当に粘土だけでクレイメーションアニメのゲームを作ってしまったというエピソードが残されているのでした。

 

 クレイマン・クレイマンが全て粘土で、かつコマ撮りで制作されていたのに対し、Armikrogは粘土とCGの両方を上手く組み合わせて制作されている、というのを何かの記事で読んだことがありますが、それだとしても凄い努力だし面白い手法ですよね。Armikrogのストーリーや開発背景などはこちらの記事で詳しく読むことが出来ます。


 ここで思うのが「ゲームはアートなのか?」という問題なんですよね。Armikrogはクレイメーションゲーム。粘土だし表現も凄いし、プレイ画面に「絵」や「芸術」を感じる。Armikrogは言ってしまえば「アート・ゲーム」ですね。でもここで「待った」を言いたいんです。

 「ゲームはアートか」問題に関して、昔から言われていたような気がするんですが、結局どうなんでしょう。肯定派と否定派がいるんでしょうか。私は一応肯定派ですが、まだ何とも言えません。そもそもアートの定義って何? よく言われる「アート・ゲーム」ってじゃあ何なの? と思ってしまうんですよね。

 個人的な意見ですが、UIがシンプルなゲームが「雰囲気ゲーム」と呼ばれていて、その派生で、アーティスティックな方面に何かしら特化したものがアート・ゲームと呼ばれるのかなと思うんですが、アーティスティックな方面って結局どういうことなんだろうって思ってしまう訳です。

 身体的なインタラクティブ性を持つゲーム、例えばゲームセンターの格闘ゲームであったり、一方でVRゲーム、体感ゲームもそうですが、その中でも「美しい」「シンプル」「ミニマリズム」「カラフル」「独特」といった要素が一つでもあれば、アート・ゲームに成り得るのかもしれない。じゃあ格闘ゲームはアート・ゲームじゃないのか、と考えると、私はアート寄りなんじゃないかと思ってしまいます。UIとかが違うだけで、インタラクティブにゲームに関わるっていう行為が凄いなと思うんです。

 格闘ゲームにアート要素は無いのかもしれない。最近だとEverythingは(言葉に出来ないけど)めちゃめちゃ凄いなって思いました。EverythingのクリエイターであるDavid OReilly氏は、クリエイターというよりCGアーティスト的なイメージですが、それ抜きにしても、Everything的ゲームこそ「アート」と呼べるものだろうし、Everything的ゲームに散りばめられているものこそ、アートとして成り得る要素になるんだと思います。

f:id:inneranimal:20170504002620j:plain

 

 でもPSVRインタラクティブ性が私は大好きです。バーチャルでSFな感じだけど、ゲームに私たち自身が干渉出来るって良いですよね。コントローラーのボタンを押してゲーム内に働き掛ける行為も面白いけど、それを人間の身体でやっちゃうのが凄くアートだな、未来だな、と思います。PSVRでプレイするバウンド:王国の欠片とか、個人的にアートの極みすぎて興奮します。

f:id:inneranimal:20170504002051p:plain

 

 そういう訳で、ゲームセンターの格闘ゲームの身体性が凄く好きなんですよね。一種のアート、いや違うかも。アートと非アートの境目って何なんだと日々思っている訳で、Armikrogが「アート・ゲーム」である、と断定できる自信が私にはまだないんです。

 

 Armikrogですが、日本語には対応していないのでそれがちょっと残念です。というよりも、無理に翻訳しちゃうのもなんだか勿体無い気がしますね。英語字幕があるし、それで一応何とかなります。英語も簡単なので気になった方は是非プレイしてみて下さい。

 

哺乳瓶のゲームメモ#2 『NO THING』

それは1994年、未来。

f:id:inneranimal:20170429004420j:plain

 NO THINGは、Steamで私が一番好きなゲームです。好きなゲームって正直無くて、「何のゲームが好きなの?」と聞かれて即答出来る人っていないと思うんです。なんとなく「アクションゲームが好き」とか「パズルゲームが好き」とか答えられるかなってくらい。それも難しい人もいるかもしれないですね。でもこれだけは胸を張って言える。NO THING、一番好き。ちなみに私のTwitterのID「InRoom22」はNO THINGの楽曲のタイトルから頂きました。

 

 NO THINGは一人称視点のTemple Runみたいなゲームです。でも道順は決まってるので、エンドレスラン系のゲームとはまたちょっと違うかもしれない。寧ろ「死に覚えゲー」なのかな。難易度は結構高め。一番好きだけど、まだクリア出来てないです。テレビのステージ難しすぎる。この動画(9分辺り)とか、プレイしている方の反応で分かって頂けると思います。

 

 何といっても世界観が良いんですよね。引用になりますが、

The year is 1994 and it is the future. 

NO THING is a minimalistic surreal action game set in totalitarian regime of future.

Tells the story of an office clerk who is sent with important message to the Queen of Ice.

が大まかなあらすじ。簡単に言うと、1994年という未来を舞台に、氷の女王に重要なメッセージを届けに行く、というストーリーです。この設定もなかなか良いけど、とにかく最高なのがこのゲームのグラフィック。あと音楽。あとテキスト。

f:id:inneranimal:20170429004734j:plain

 

 見て分かる通り、よく分からない物体が浮かんでる。電話だけど。いやよく分からないですよね。で、画面下部に意味がありそうで無さそうなテキストが表示されるんですね。無機質なナレーションと共に。レトロフューチャーですよ。いやディストピアかな。

 

 情報化社会とか、ディストピアとか、そういう世界観をなんとなく感じさせられるんですよね。散乱したテレビとか、ごちゃごちゃで情報過多な背景と、ロボットみたいなナレーション。『未来世紀ブラジル』とか『ゼロの未来』みたいな。

f:id:inneranimal:20170429005330j:plain

 

 ゲーム内にはよく巨大な顔のオブジェクトが出てくるんですが、それがアート・オブ・ノイズの『Paranoimia』とか、つまりマックス・ヘッドルームを彷彿とさせる。

 

 あとはジョージ・オーウェルの『1984年』。あのテレスクリーンですね。シンプルなゲームだけど色々詰め込まれているんです。なんで1994年なんだろう。それだけ気になりますが、そういうのが好きな人にはたまらないんじゃないでしょうか。

 

 操作がシンプルなのも世界観を邪魔していなくて良いですね。無駄なUIとかないし、使うのはWASDとスペースだけ。とにかく曲がってジャンプ、落ちたらもう一回。その繰り返し。

 

 BGMはチップチューンほどではないけど、ピコピコしていて気持ち良いです。気に入ったら絶対に買った方が良いです。BGMも楽しめるトレーラーを載せておきますね。


 個人的な嗜好だけど、ディストピアものってやっぱり良いなって思っちゃう訳ですよ。ディストピアというか、情報化社会に警鐘を鳴らす作品は多く作られているし、私たちも何となく分かっているはず。スマートフォンが手元にないと不安になるって、文にしてみるとちょっと馬鹿だよね。でもそんな時代になっているんです。

  だからこそ私たちは、ディストピアに一種の憧れみたいなものを抱いてしまうのではないでしょうか。少なくとも私はそうです。ディストピア最高。

 

 NO THINGはSteamだけではなく、AndroidiPhoneでも遊ぶことが出来ます。でもパソコンの大画面でプレイして欲しい。価格もそんなに高くないので、是非遊んでみて下さい。

 

哺乳瓶のゲームメモ#1 『Hover:Revolt of Gamers』

大好きなゲームがとんでもないことになってました。

f:id:inneranimal:20170428005302p:plain

 Jet Set Radioにドハマりしてインラインスケートを買った人、絶対いますよね。私もその一人です。それくらいJet Set Radioが好きだったんですが、そのJet Set Radioと、あのパルクールゲームMirror’s Edgeにインスパイアされたゲーム、Hover:Revolt of GamersがSteam Greenlightに登録されたのは3年前でしょうか。

 

 とにかく見て下さい。このサイバー感。たまらないですよね。しかもあの長沼英樹氏が楽曲提供してるんです。

f:id:inneranimal:20170428005252j:plain

 

 長沼英樹氏はJet Set RadioのBGMを主に手掛けていた人で、あの「長沼サウンド」が好きな人は沢山いると思います。知らないって人もテレビで聴いたことがあるんじゃないかな。Jet Set Radio Futureの曲になりますが「Funky Dealer」とかはよくテレビで流れてるのを耳にします。

  

 Jet Set Radioは、スケートを履いた少年たちがカートゥーン調の街の中を警察から逃げつつスプレーで落書きしていくっていうゲームで、2000年にセガから発売されました。渋谷とか新宿の裏路地の壁に描いてありそうなグラフィティがとってもクール。でもそれだけじゃないんです。「長沼サウンド」があってこそのJet Set Radio。BGMに身を委ねながら走り回るのが最高に気持ち良いんです。一種の音楽ゲームなのかもしれない。

f:id:inneranimal:20170428003245j:plain

 

 Rezというこれまたセガから出ていた音楽ゲームがあるのですが、これがすごいんですね。Rezの話は長くなるのでまたいつかしますが、Rezのキャッチコピー「うって、ノッて、絶頂へ。」がこのゲームの全てを表しています。音楽に合わせてボタンを押すと、その音が効果音になる。ミスせず続けていくと、ハイテンポな音楽になっていく。正に「絶頂」ですね。視覚と聴覚と触覚など、様々な感覚が合わさってこの「絶頂」が生まれることから、「共感覚」がコンセプトにもなっているそうです。

f:id:inneranimal:20170428003450j:plain

 

 Rezは昨年Rez infiniteとしてPSVR向けに配信されましたが、こっちは最高に電子ドラッグです。電脳ダイブ。「シナスタジアスーツ」という専用の振動スーツを着てRez infiniteをプレイするとそれこそ天国です。2度だけ着用しましたが、また着たい。販売して欲しいです。話が逸れました。

 

 つまりJet Set Radioも、言っちゃえば視覚と聴覚と振動の共感覚ゲームなのかもしれないと思ってます。そして発表されたHover:Revolt of Gamers。ここまで読めば分かって頂けると思いますが、めちゃめちゃ楽しみでした。

 

 で、ついに早期アクセス版がリリースされたんですが、楽しいです。当たり前ですね。近未来的世界を舞台に街を跳ね回る。跳ね回るっていう表現でいいのかな。壁ジャンプを駆使して街のてっぺんまで行けるし、そこから落ちることも出来る。壁を走ったり、手すりでグラインドしたり。ハイスピードパルクールアクション。とにかく楽しい。一人称視点と三人称視点を切り替えられるのも楽しい。結構酔っちゃうけど、これこそVRでやりたいです。この世界に行きたい。

 

 それだけで最高なんですが、長沼英樹の楽曲も追加されるらしい。実質Jet Set Radio。最高(先日のアップデートで長沼氏の楽曲がついにゲーム内に追加されたそうです)。

 

 そんなHoverですが、ずっと早期アクセスのままで、リリースされるか分からなかったんですよね。でもさっきGame*Sparkの記事を見てびっくりしたし、読んでみるととんでもないことになってた。新エリアの追加、キャラクターの追加は来ると思ってたんですが、Nintendo Switch版が発売されるそうで。Nintendo Switchはよく分からないんですが、HD振動っていう機能がありますよね。対応しているのかは分かりませんが、対応してたらとんでもない。パルクールのあの触覚が体感できるのかもしれない。とんでもない。

 

 という訳で、Hover:Revolt of Gamersのリリースがめちゃめちゃ楽しみだし、既に楽しいので沢山の人とマッチングして街の中を走り回りたいです。

「コンシューマーゲームアレルギー」だった話

2月にリリースされた『NieR:Automata』がめちゃくちゃ良かった。前作の『NieR Replicant/Gestalt』は未プレイ、ストーリーとか設定を知っている程度だったから楽しめるか不安だったけど、全然そんな事は無くて、物凄く楽しかった(以下ネタバレあります)。

 

 国産RPGとかその類を食わず嫌いしていて、ドラゴンクエストとかファイナルファンタジーをプレイした事が無かったんですよね。RPGがそもそも苦手で、レベル上げが効率良く出来ない。ポケモンRPGだと思ってるんだけど、死ぬほど苦手だった。

 あと日本語ボイス付きゲームも苦手。声優さんは凄いと思うけど、どうしても声優の存在を意識しちゃうから。『ゼルダの伝説』は大好きだけど、新作がフルボイスだと聞いて正直嫌だった(『ゼルダ』の良さはボイスが無いところにあると思うんですよね。でもSwitchを持っていなくて未プレイなので、何とも言えません。意外とフルボイスが良かったりするかもしれないですね)。

 

 そんな不安ばっかりで始めた『NieR:Automata』だったけど、冒頭にもあるように、めちゃくちゃ楽しかったんです。勿論ストーリーも音楽も良いし、展開も。システムも凄く良かった。アクションも爽快だし、見せ方が上手いんだと思う。

 前作にノベルゲーム要素があるのは知っていたけど、いざ今作で体験してみるととっても楽しかった。前作のノベルは長かったり、ゲームオーバーになったりとかで不満が多かったみたいだけど、今作はすんなり入れたし、前作未プレイの私にとって「これがあのノベルゲームか!」って少し嬉しかった。

 特に印象的だったのはBルートのN2のホログラム。ムービーをぼんやり眺めてたら女の子が立ってたからびっくりした。見間違いかと思ってゲームを強制終了、もう一度やり直して確認したけど、やっぱり女の子ははっきり見えた。その時はそれが何なのか分からなかったから凄くゾッとした。

 

 結果、100時間くらいプレイしていました。ファストトラベルが使えるようになるのを知らなくて、使えない時にサブクエストでフィールドを奔走していたのもあるけど、クリアした後も魚図鑑とか武器コンプリートとかに勤しんでいました。

 正直言って、8000円でこんなに楽しませて貰って良いのかな、という気持ちが一番大きいです。普段Steamで2000円とか3000円のインディーゲームを買って遊んでるけど、全然比べ物にならなかった。勿論値段とか環境とか色々違うけど、コンシューマーゲーム様様だなって思わされた。

 

 ここからは極論だけど、インディーゲームをプレイしている人の中には「コンシューマーゲームなんて面白くない、コンシューマーの時代は終わりだ」って思っている人がいると思うんです。私も最近少しそう思ってた。言っちゃえば「コンシューマーゲームアレルギー」。インディーゲームは個人で開発してるから、ひねりにひねったアイデアが一杯詰め込まれていて面白い。私は『トリコ』を7年待っていた人だけど、結果的にあまり好評じゃなかったみたいで悲しかった。確かにちょっと期待外れだった。『トリコ』も凄かったけど、この7年の間に、凄いゲームが個人からも企業からも沢山生まれちゃったから「『トリコ』、7年とか言ってるけど大した事ないじゃん」っていう意見が多かったんだと思うんですよね。

 でも『NieR』をプレイして「全然コンシューマーゲーム終わってないじゃん」って思った。それくらい感動したし、ただただ凄いなあって思わされた。本当にプレイして良かったです。特に、コンシューマーゲームに抱いていた偏見みたいなのを取り除けて良かった。凝り固まった思考だと、何が楽しいか、何が面白いかの正しい判断が出来なくなっちゃうと思うからね。だから、いないとは思うけど「コンシューマーゲームアレルギー」みたいなのになっちゃった人が『NieR:Automata』をプレイ出来ないのは少し可哀想なのかもしれない。

インディーゲームとイベントの話

 大学に入ってからインディーゲームにどっぷり嵌りました。よく「インディーゲーム」という定義について、個人開発者とか大手ゲーム会社とかの間でも論争が起こるみたいなんですが、ここでは「Steamで発売されているような、どこの誰が作ったかも分からないゲーム」と定義します。インディーゲームを好んでプレイする人の中には「誰が作ったか」、つまり開発者やデベロッパーを重視する人もいると思いますが、一般的なゲーマーからしたらそんなのはどうでもいいんです。寧ろインディーゲームそのものを知らない人の方が多い。Minecraftはインディーゲームだけど、そうだと知ってプレイしている人はほとんどいないと思います。最近はPlayStation × Indiesとかファミ通の「とっておきインディー」のお蔭で、誰でも簡単にインディーゲームに手を伸ばせるようになったけど、だからといってわざわざPS4でNidhoggをプレイする人がいるとは思えないんです。元々その存在を知っている人は別として。「よくわからんゲームがある」位にしか思われないでしょう。その「よくわからんゲーム」をここでは「インディーゲーム」として定義することにします。

 

 東京ゲームショウに参加し始めたのは大学生になってからなので、まだ2回しか行ったことがありません。そのうちの1回、大学1年生の時の私はデベロッパーなんて知らなかったので、ゲームショウ内のインディーゲームコーナーはざっと見て回る程度で、「たくさんインディーゲームがあるなあ」とか「外国人が多いなあ」位にしか思っていませんでした。

 そして2回目、TGS2016。この時にはもう立派な「インディーゲームプレイヤー」になっていたので、インディーゲームコーナーへの期待に満ち溢れていました。特に、私が一番好きなデベロッパーが、かなり前からリリースを楽しみにしているゲームを引っ提げてブースを出すと聞いたので、とってもワクワクしていたし、何より応援している一プレイヤーとして開発者と何かお喋り出来たらいいな、とも思っていました。海外のデベロッパーなのですが「Good!」とか、簡単な一言だけでも良いのでコミュニケーションを取りたかった。それくらい楽しみだったので、TGSのサポーターズチケットを使って、一番にインディーゲームコーナーに行こう、目当てのブースに行こうと計画していました。

 サポーターズチケットとは、一般来場者よりも早く入場できる、所謂優先チケットです。優先チケットを駆使して入場したので、会場内はほぼガラガラでした。インディーゲームコーナーに足を踏み入れ、好きなデベロッパーの名前が書かれているブースを見つけた時、ドキドキが止まりませんでした。ここに、あのゲームの開発に携わっている人がいるかもしれないんだ、これがあのデベロッパーなのか、どうしよう、と頭の中はぐちゃぐちゃでした。しかしブースに近付こうとした瞬間、何やら異様な雰囲気が漂ってきて「何かがおかしい」と別の意味でドキドキし始めたんです。

 見えたのは、名刺交換をしたり楽しそうに談笑している関係者たちの姿でした。開発者かどうかは分かりませんが、首から名札のようなものをぶら下げていたので、関係者であることは間違いないです。それを見た瞬間「もしかして場違いかもしれない」と思い、一旦インディーゲームコーナーを後にして、隣のVRコーナーを見て回ることにしました。「早く来過ぎたのかもしれない、まだ準備段階だったのかも」と思っていました。

 12時近くになり、改めて好きなデベロッパーのブースに向かいました。関係者らしき外国人の姿が見えてワクワクしましたが、やっぱり誰かと名刺交換しています。楽しみだったゲームの試遊台は空いていたのでプレイしましたが、操作方法も何もかも分からず、5分程コントローラを弄っていましたが、凄く怖かったし空しい気持ちになってブースを後にしました。私がプレイしている間も、デベロッパーの人は私の後ろで関係者らしき人と談笑を続けていました。楽しみにしているゲームをプレイ出来たのは良いけど、なんだかモヤモヤしていました。

 多分タイミングが悪かったんだと思います。インディーといえど、プレイヤーが開発者陣とお話ししようなんて夢物語、甘い考えだったのかもれません。

 そのままVRコーナーに戻りました。VRコーナーの中でも、壁沿いの狭いスペースで出展しているブースのゲームを中心に見て回ろうという考えでした。企業とか大手のVRコンテンツがホール内の中央あたりに展開されていたのに対し、こちらは小さな机とパイプ椅子が並んでいるという、本当に簡素な作りのブースだったので、多分専門学生とか大学院の生徒さんや小さな会社が作成したVRゲームの展示だったのかもしれません。そしてかなりガラガラ、同ホール内のインディーゲームコーナーや物販コーナーに比べ、ほとんどプレイヤーもいませんでした。しかし、ここのブースの人たちがとっても素晴らしかったんです。

 ブースに近付くと「遊んでいきませんか?」と声を掛けられました。しかしブースに掲げられた「整理券」の文字を見て、「整理券を持っていないので……」と返したところ、「今ガラガラなんで是非遊んで行って下さい、沢山の人に遊んでほしいし感想を聞きたいんです!」と言われて驚きました。上から目線のように思われるかもしれませんが、私が開発者陣に求めていた反応がまさにこれだったのです。プレイし終わった後も、感想だったり、どこが良かったかとか、色々な話をすることが出来ました。「すごく面白かったです!」と伝えた後の「ありがとうございます!」という彼らのキラキラした姿を忘れることが出来ません。

  その日の夜、好きなデベロッパーが大手ゲーム会社の偉い人だったり他の有名ゲームクリエイターとか関係者とのツーショットを上げているツイートを見て、悲しくなりました。プレイヤーと開発者、受け手と作り手の関係はこんなものかと思わされました。

 

 ゲームショウ以外にも、いくつかインディーゲームのイベントに行きましたが、はっきり言ってどれも似たような感じでした。イベントのリピーターとして何回か同じイベントに参加するとスタッフさんは顔を覚えてくれるんですよね。「また来てくれたんですね」と会話は弾むのに、いつも目に入るのは業界人らしき人が名刺交換をしている姿。それを見る度に「怖い」「近付けない」と思うし、自分の場違い感が恥ずかしくなります。実はそのイベント、私が好きな日本のゲームデザイナーが主催していて、彼自身も不定期にイベントに訪れているようでした。運が良ければ会える、という感じです。私は3回行ったのですが、結局姿を拝めず諦めて帰ろうとした瞬間、目の前の扉からそのゲームデザイナーが颯爽と現れてびっくり、頭が真っ白になりました。中学生の時からそのデザイナーの作ったゲームが好きで、言ってしまえばゲームを好きになるきっかけを与えてくれたという「憧れ」の人物だった訳です。しかし彼は、目の前に立ち竦む私には目もくれず、私の後ろのテーブルで談笑していた業界人たちの輪の中に入って行ってしまいました。そりゃそうですよね。でもその時のスルーっぷりがかなりトラウマだし、少し怖かった。

 

 プレイヤーである私にとって、インディーゲームのイベントというものは、作り手と受け手の距離が近いイベントだと思っていました。同じく「インディー」の名がつくものとして「インディーズバンド」が挙げられます。私は中学から高校生の間、いくつかのインディーズバンドを追いかけていましたが、いつもファンとバンドの距離が近く、それがとても心地良かったのを覚えています。「応援してます」、「○○ちゃん、ありがとう!」といった簡単なコミュニケーションですが、ファン、聴き手である私にとってのバンドの存在は大きかったし、バンドにとってのファンの存在も無くてはならないものであるはずだと思うんです。追いかけていたバンドが大きくなり、有名になっていくのを見ると、子を送り出す親の気持ちというか、良かったなあという気持ちになるんです。「わしが育てた」というのとはちょっと違うんですけどね。

 だからインディーゲームとはいっても、作り手にとっての受け手の存在、受け手にとっての作り手の存在というのは何よりも大切なことなのではないでしょうか。ゲームに限らず、どの作品にも重要な関係だと私は思っています。

 

 今年、Tokyo Indie FestとBitSummitに一般参加したかったのですが、「デベロッパー同士で盛り上がっていて近付きにくいブースがあった」とか「アウェイだった」とかいうBitSummit過去参加者のツイートとか意見を見ると萎縮してしまいます。全部が全部そういうブースだとは思っていないけど、ちょっと悲しくなりました。別に名刺交換してようが、自分のゲームを売り込む良い機会であろうが、心に傷を負った私からしたらもうどうでも良いんですが、プレイヤーの存在だけは忘れないで欲しいです。そもそもそういうのはTokyo Indiesとかイベント後の交流会でやったら良いんじゃない? ってちょっとだけ思ってます。開発側ではないので分かりませんが。偉そうでごめんなさい。

 そういうこともあって、Tokyo Indie FestとBitSummitに参加するかは分からない。TGSも行くけど、インディーゲームコーナーは遠くから眺めるだけかもしれない。悲しい思いはしたくない。それだけです。